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近隣の観光施設 その1 掛川城 

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12月18日 今回は、当園から外に出て、花鳥園から近い近隣の観光施設についてお話します。

掛川というところは、静岡県のなかでは伊豆や富士周辺のような観光地ではありませんが、せっかく花鳥園を見に掛川に来られるのですから、お時間が許せば近隣の観光地にも足を向けられ、当地方をより知っていただければ、と、そんな思いもあり、これから、折をみてときどき、こんな内容のブログも書いてみたいと思います。


それで、今回はその1回目。 掛川といえば、まず 掛川城 です。

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こちらはJR掛川駅の北口です。掛川城は、JR掛川駅の北口から真北に歩いて約7分~10分くらいのところにあります。

JR掛川駅の北口は、新幹線が止まる駅としては唯一の木造駅舎です。

20年くらい前、新幹線駅の造成とともに北口も駅前の大掛かりな整備が行われ、その時に古い駅舎もてっきり取り壊されると思いましたが、掛川市長を20年以上勤められた榛村純一前掛川市長が、木の文化を大切にするという姿勢から、1940年に建築された駅舎を壊さずに残しました。

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駅から約10分ほど歩き、掛川城に着きました。こちらは掛川城の二の丸御殿の外観です。掛川城御殿は、現存する数少ない城郭御殿として、国の重要文化財に指定されています。現在の御殿は、江戸末期の安政元年(1854)の東海大地震で壊滅した後、安政2年(1855)から文久元年(1861)にかけて再建されました。

御殿は7棟よりなる書院造りで、約20部屋に分けられています。

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御殿を後にして、急な階段を登り、お城に向かいました。 

掛川城は、室町時代中期に今川義忠の命によって重臣の朝比奈泰煕に築城させたものです。その後、戦国時代、徳川家康が東海から関東へ移封されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が掛川城主となり、一豊は掛川城の大幅な拡張を実施し、石垣・瓦葺の建築物・天守など近世城郭としての体裁を整えた城郭としたそうです。(ウィキペディアより)

江戸時代の天守閣は、安政の東海大地震で壊滅しましたが、平成6年に再建され、戦後初となる木造天守として掛川のシンボルとなっています。

一昨年は大河ドラマ「功名が辻」の影響で、掛川城にも大勢の観光客が訪れました。小さなお城ですが、江戸時代の図面をもとに再建された、当時のままの純木造の城です。

鉄筋で造らず、日本の伝統を大切にする。日本古来の木の文化を大切にする。駅舎と同じ思想がこのお城にも表れています。前市長と親交のあった当園の社長は、この考えの土台の上に、収益性を伴った現代に通用する施設「花鳥園」を造ったわけで、土台となる思想は駅舎やお城と同じです。


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お城内部は4階に分かれており、階段はとても急です。その階段を登りつめて、天守郭最上階から掛川市内を見た様子です。

なんてこと無い、おだやかな、ふつうの街です。正面の低い丘陵は、小笠山です。ここにはサッカーやコンサートで有名な小笠山総合運動公園 エコパドーム、エコパアリーナがあります。ほかお正月は参拝客で賑わう法多山などがあります。

法多山、エコパは、また今度ご紹介しますね。

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花鳥園が見えないかな・・・と思って望遠レンズで見ると・・・。あ、見えた! 白く光る温室の屋根。でも中央部は掛川グランドホテルと、横は長く東名高速道路の防音壁で隠れてしまってます。花鳥園の外観説明にはなりませんが、まぁ、お城からも見えるということで。

この企画は次回は年末に、花鳥園とセットでお正月の初詣に良い、法多山をご紹介します。


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